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カープの復活を信じて 思い出の選手(7) 紀藤真琴

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思い出の選手(7) 紀藤真琴


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思い出の選手のその7は、比較的新しい(?)紀藤真琴です。
つい先日まで現役だった気がします。

中京高校→広島(1983年 ドラフト3位)→中日→楽天

中京高校では3度甲子園に出場。池田高校全盛期の中、3年夏はベスト8まで進出し、念願の池田との対戦。池田・水野との息詰まる投手戦の末、1対3で敗れ、涙を飲みました。ただ、このとき、紀藤は投げておりません。紀藤の話をする際は、当時の中京のエース野中徹博の話もしないといけないですね。

野中投手(後、阪急→台湾→中日→ヤクルト)は当時の中京のエースで、全国でも屈指の投手でした。前述のように、池田高校全盛の時代でしたが、野中を擁した愛知の雄・中京は三浦擁する横浜商業とともに打倒池田の一番手として位置づけられてました。2年時の夏も池田高校が畠山(南海→大洋)を中心に快進撃していたとき、ベスト4まで進出。誰もが決勝で池田-中京戦が見られると思っていたところで、広島商業が中京を1対0で倒し、決勝に進出。野中の夢は破れました(広島商業は、決勝で池田に惨敗しました)。

という流れで、3年の夏にようやく池田と戦ったのですが、1対1の8回(?)に池田に2ランホームランを浴び、前述のように1対3で敗れました。最大の敵、中京を倒した池田がこれで夏春夏の3期連続優勝かと思った準決勝。まさかの敗退。相手は、後のKKコンビ、1年生の清原・桑田を擁するPL学園でした。うーん・・・清原も桑田も引退・・・年をとりました。

ん・・・?紀藤の話でした。甲子園に夢中になっていた頃の話なので、話題がそれました。紀藤は、中京で野中の控えとしておもに外野を守っていました。予選では良く投げていたようですが、甲子園で投げた記憶は全くありません(見てません)。ただ、ドラフト当時から「素質は野中より上」と評価されていました。事実、プロとしての実績も圧倒的に紀藤の方が上でした。

紀藤がプロ入りした当時、広島は投手王国でした。北別府、大野、川口、津田、金石、川端、長冨。1軍に入る余地もありません。いつの年か覚えてませんが、そろそろ開幕1軍大丈夫だろうと思っていたのに、その年も果たせず、2軍で投げていたのですが、その成績は圧倒的で、(数字は正確ではないのですが)7連勝。防御率1点台(1点を割った?)を記録したりしてアピールしていた気がします。それほどの力を持ってました。今年の大島もそうでしたが、1軍に挙がるためには、2軍でそれくらいのパフォーマンスを出さないとだめということでしょう。その点では、今井も相澤もまだまだです。

紀藤の1軍を阻んだのは、層の厚い1軍投手陣だけではありませんでした。彼自身怪我をすることが多く、中でも血行障害には悩まされていたようです。まだ春先の気温が低い時期の巨人とのオープン戦でユニフォームのポケットに携帯カイロを入れて力投していた姿を思い出します。

非常に強気なところがあり、血行障害には良くないフォークを持ち球としていたのですが、「(血行障害が)再発すれば、また手術すればいい」と言い放って、フォークを連投していました。切れのいいストレートとフォークが好きでした。

1軍に定着してからは、安定した成績を残しました。現役時代のピークは、1994年からの3年連続二桁勝利でしょうか。中でも1994年は、自己最高の16勝をあげ、最高勝率のタイトルもとっております。ただ、この3年間の防御率は、3.97、3.87、4.27と胸を張れる内容ではなく、当時のビッグレッドマシーンに助けられた勝ち星だったかもしれません。あと4、5年早ければ内容も伴ったものだったように思うと残念です。

その後の成績は落ちる一方で、2001年には、鶴田泰とのトレードで中日に、2004年には楽天に無償トレードで移籍し、2005年に引退し、楽天のコーチに就任しました(2008シーズン終了後、退任)。

若い頃、津田と一緒にプレーしたので、現役末期は、「投げられるうちは投げ続けたい。津田さんは、投げたくても投げられなかったのだから・・・(コメント怪しいです)」のような事を言いながら、投げていたようです。やはり、津田のそばで彼の生きざまを見た人は、大きな影響を受けているのかもしれませんね。

2005年引退 78勝73敗16S 防御率4.07 奪三振1146

投手王国を支えた貴重な投手でした。



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2008.11.21 Fri l 思い出の選手 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

甲子園での登板
 紀藤投手のことを少し調べていてここにやってきました。TAKと申します。
 紀藤投手,甲子園では82年春のセンバツ54回大会の準々決勝尾道商戦の終盤と,83夏の65回選手権の2回戦岡山南戦で1イニング程度投げていたのが記憶に残ります。
 ダイナミックな,そして美しいフォームでした。しなやかな筋力を感じさせるフォームからおそらく150前後のボールを投げていたと思います。
 プロ入り後も切れのある球筋と,つぼにはまったときの奪三振率の高さでとても好きな投手でした。
2010.05.06 Thu l TAK. URL l 編集
Re: 甲子園での登板
TAKさん

初めまして。

>  紀藤投手のことを少し調べていてここにやってきました。TAKと申します。
>  紀藤投手,甲子園では82年春のセンバツ54回大会の準々決勝尾道商戦の終盤と,83夏の65回選手権の2回戦岡山南戦で1イニング程度投げていたのが記憶に残ります。

投げているけど、やはりイニング数が少ないみたいですね。私は記憶にありませんでした。野中投手が安定していましたからね。

>  ダイナミックな,そして美しいフォームでした。しなやかな筋力を感じさせるフォームからおそらく150前後のボールを投げていたと思います。
>  プロ入り後も切れのある球筋と,つぼにはまったときの奪三振率の高さでとても好きな投手でした。

(私が思う)ピーク時にうまく使えなかったのは残念でした。あの当時の投手陣の層の厚さが禍したのだと思いますが、贅沢な話ですね。今では考えられません。

TAKさんはカープファンですか?カープファンでなくても、また高校野球ネタなどでコメントいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2010.05.09 Sun l ニュービギニング. URL l 編集

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