レンタルサーバー
  1. 無料アクセス解析
カープの復活を信じて ワールドカップの思い出(1) ~スペイン大会(1982年)~

スポンサーサイト


訪問ありがとうございます。お初の方も、常連の方も、クリックお願いします。

にほんブログ村 野球ブログへ にほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ
広島東洋カープブログランキング
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top

ワールドカップの思い出(1) ~スペイン大会(1982年)~


訪問ありがとうございます。お初の方も、常連の方も、クリックお願いします。

にほんブログ村 野球ブログへ にほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ
広島東洋カープブログランキング
鯉次郎に(カープの)絵本を読む習慣が定着してきました。
今朝も、(会社に行く前のくそ忙しい時に)本を取り出して来て「読んでくれ!」とアピール。
ここで無碍にすると、絵本を捨てそうなので、仕方なく、一通り読んでおきましたw

最近は、虎・竜・ツバメ・巨人・星のページを見て、「これは敵なんだよ!エイッ、エイッ!」とそれらの絵を叩いてやると、
鯉次郎も嬉々として、「エイッ、エイッ!!」と叩くようになりまして・・・良い傾向ですw

◆◆◆

さて、今日はワールドカップの思い出・・・その1ということで、その2以降があるかどうかは不明です。

念のため断っておきますが、サッカーネタですよ。サッカーw

ワールドカップに関して記憶が残っているのは、スペイン大会(1978年)でしょうか。
そう、

天才・マラドーナのワールドカップデビュー大会!!

今とはシステムが違い、1次リーグで勝ちあがったチーム同士で、2次リーグが行なわれていたはずです。

さすがに、その前(軍事政権下のアルゼンチン大会?)の記憶は無いです。ですから、皇帝(ベッケンバウァー)やフライングダッチ(クライフ)のプレーは記憶に無い。ここまで行くと、世界史の感覚になります。

さて、マラドーナ。歴史資料によると地元開催のアルゼンチン大会でも代表召集が噂されたようで(当時、17歳)、結果的に代表には選ばれませんでしたが、その才能の豊かさが伺えます(その前の年から代表には選ばれていたようです)。

4年待って、満を持して選出されたスペイン大会はほろ苦いものでした。その噂は各国に知れ渡っており、予選リーグから徹底マークを受ける中、それなりに活躍はしたものの、不満の残るものでした。2次リーグでは、イタリア・ブラジルと同じリーグになり、準決勝進出をかけたライバル・ブラジル戦で徹底マークにイラついた余り、相手ディフェンダーに蹴りを食らわし退場・・・マラドーナのスペイン大会はここで終了となります。

試合終了後、ブラジル監督、テレ・サンターナが、「マラドーナ程度の選手は、ブラジルにはゴロゴロいる(詳細自信無し。確かこんなニュアンス。)」と発言。子供心(当時10歳)に、「おおっ~言うなぁ~」と思ったものです。確かに当時のブラジルの中盤は、「黄金の中盤」と呼ばれ、ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ、ソクラテスを揃え、他国にとっては脅威の的だったと思います。今のサッカーとは違うんですけどね。4人中3人が日本で監督をしているのが面白いですねw

この大会は、ロッシの大会でした。2次リーグでのブラジル戦でのハット・トリックに始まり、準決勝のポーランド戦での2得点と決勝での1得点。見事得点王に輝きました。セリエAでそれほど目立った活躍も無かった選手でしたが、ここぞというときに大爆発でした。

さて、この大会のベストマッチとして今でもビデオが売られているのが、準決勝の西ドイツ-フランス。上述のブラジル「黄金の中盤」に対して、流麗な中盤は、「宝石の中盤」と呼ばれてました(確か)。プラティニ、ティガナ、ジレース、フェルナンデスとタレントを揃えたフランスに対し、西ドイツルンメニゲ、フェラー、リトバルスキーで対抗。試合は、3度リードするフランスに対し、西ドイツがその都度追いつき、延長戦を経ても決着は付かず、PK戦に突入。PK戦で西ドイツがフランスを下しました。私はフランスが勝ちあがるのを見たかったんですが・・・

ドイツは当時からKYなチームでしたねw

ご存知の方は多いと思いますが、この悲劇は、次大会にも続きます・・・

当時のフランスのサッカーは美しく、「勝つ」ことよりも、「美しさ」を求めていたんじゃないか・・・?というような試合運びで、結果はともかく、内容については十分満足できた試合でした。フランスの初優勝は、その後、ジダン・アンリを中心とした自国開催まで待たねばいけませんでした。その間、予選敗退の屈辱も味わっています。

ドイツはこの試合で全精力を使い果たしてたのかもしれませんね。決勝ではイタリアに敗れました。

この頃のワールドカップは、遠い世界(まあ、実際遠いのですが)で行なわれている感じでしたね。情報も少ないし、映像もわずかでした。見ようと思っても、なかなか見えないから想像力をかきたて、未知なるものへの憧れが大きくなるんでしょうね・・・妄想に近いですがw

当時と比べると、ワールドカップは近くなったものです。いろんな意味で・・・
スポンサーサイト
2009.11.23 Mon l サッカー l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

No title
昔の選手ならコンロンビアのバルデラマって選手が好きでしたねぇw
アメリカ大会では優勝候補だったんですが
予選でスコーンと負けまくっちゃって
翌日のニッカンの記事

「すってんコロンビア((((゜д゜;))))」
2009.11.25 Wed l ゆういち. URL l 編集
Re: No title
ゆういちさん

> 昔の選手ならコンロンビアのバルデラマって選手が好きでしたねぇw
> アメリカ大会では優勝候補だったんですが
> 予選でスコーンと負けまくっちゃって
> 翌日のニッカンの記事
>
> 「すってんコロンビア((((゜д゜;))))」

短足でがに股、ライオン丸(古い・・)のような風貌のスーパーゲームメーカーですね。ペナルティエリア内でパスを出す男なんて呼ばれていました。

あの年のコロンビアには、アスプリージャという選手がいて、その身体能力の高さから、ワールドカップ前、(彼が所属していた)セリエA選手に優勝予想を聞いたアンケートではコロンビアを推す人が一番多かったようです(理由は、アスプリージャがいるから)。それだけ、能力が抜けていたらしいです。実際、南米予選でアルゼンチンに5-0で勝ったり、ペレが優勝候補に挙げたりと、開幕までは主役のチームだったと思います。

結果は、ゆういちさんの言われるように予選リーグ敗退でしたけどね。

敗戦の原因となるオウンゴールをしたDFエスコバル選手が射殺されたのもアメリカ大会の後でしたね。怖い国です。

コメントありがとうございました。
2009.11.25 Wed l ニュービギニング. URL l 編集

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://newbeginning436.blog77.fc2.com/tb.php/539-2d272a7c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。